ほのぼの、単線の流山鉄道 ここも千葉
近藤勇と土方歳三どうして、別れたのさ//
慶応4年(1868年)鳥羽伏見・甲州勝沼の戦で官軍に敗れた近藤勇は、土方歳三らと共に流山へと移動し、新しい部隊を再編成する為に醸造家の長岡屋に本営を置き、隊士達は光明院等に宿をとりました。しかし、この情報を得た西軍の先鋒隊がこれを包囲、まさに一触即発の状況、この流山の人々が戦禍により苦しむ状況は避けたいと考えた近藤勇は、大久保大和と名乗り、武器を差し出して出頭し、幕府公認の治安隊であると主張しましたが、板橋へ連行される途中、近藤勇であると露見し、捕らえられ処刑されます。ここ流山は、近藤勇と土方歳三の「別れの地」なのだと/